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さんと俺が初めて出会った時、俺は文字通り小さな子供で、そしてさんは大人だった。小さな子供、なんて言うとちょっと違う気もする。だって当時10歳だった俺の身長は、すでに150センチを超えていたはずだ。クラスでも目立っていて、先生や家族の勧めもあって近所の小学生バレーボールチームでめきめき頭角を現してたんだから。そんなある日練習を終えて帰ってきたら、リビングに両親と歳の離れた兄貴、その隣に知らない女の人が座ってお茶を飲んでいた。その、女の人がさんだった。 「ああ徹、もうすぐお前に姉ちゃん出来るぞー」 「姉ちゃん?」 「おう!俺な、この人と結婚すんだよ。つまり兄ちゃんのお嫁さん、姉ちゃんみたいなもんだろ」 「です。徹くん、よろしくね」 差し出された白い手を握った瞬間、俺はこの人が好きだと子供心に感じてしまった。周りにはいない年上のお姉さんに初恋、今思うとなんともませたガキだと自分でも思うくらいだけども、子供の俺は大好きなさんの視界に入るためならどんな手でも使う、子供だったから許されるものの今だったら絶対に許されない、そんな考えられうるすべての手段を使ってさんの隣にいようとした。 いわゆる「スープの冷めない距離」に住むすることになったさんが晩ごはんの買い物に行くと聞けば「お手伝い」と称してさんと手を繋いで商店街を歩いたり、両親に叱られたとあれば「家出」と称してさんの家に押しかけて抱きついて慰めてもらったり、兄貴が仕事で遅くなると聞けば「話し相手」と称して一緒の布団で寝たりもした。なんてずるい子供だろう。 「本当に徹はさんに懐いてるのねえ。お姉ちゃんが出来て嬉しいのかしら」 「私一人っ子なので、徹くんみたいなかわいい弟が出来て嬉しいです」 「かわいい、なんて身長じゃないけどな!まあ俺と同じでバレーに向いてるんだよ」 「さすが慧と徹は兄弟だな」 家出してきた俺を兄貴は「ずいぶんと簡単な家出だなあ」と笑っていたけど、俺にとっては距離なんてのは問題じゃなかった。さんがいるところに行く、それが俺にとって大事なことだったんだから。さんのやわらかい身体にぐりぐりと顔を埋めて、後頭部をぽんぽんと優しく撫でられながら、両親や兄貴、そしてさんの声を聞いていた。俺は弟なんかじゃない、弟になんてなりたくない、さんはお姉さんじゃない、俺は、さんが好きなのに。ちょっと兄貴が早く生まれたからって、兄貴がバレーボールやってるからって、なんでさんは兄貴のお嫁さんになっちゃうんだ。こんなにさんのこと好きなのに。さんに抱きつく腕に力を込めたら、さんは小さく笑いながら「よしよし、徹くんはいい子いい子」と俺の頭を抱きしめ返す。 俺は、いい子なんかじゃないのに。 とは言いつつも、さすがに他の人のお嫁さんを好きでいることに対する後ろめたさや背徳感というものが、俺が大人に近付くにつれて嫌でも分かるようになる。中学生になった頃には、自分の感情は「お姉さん」に対する「憧れ」ではなく、「さん」に対する「恋愛感情」と純然たる「欲望」であることに気付いていて、もしかしたらこれまでの想いや行動を単なる「憧れ」という言葉で片付けることが出来た可能性は皆無となってしまった。既に兄貴とさんの間には子供が生まれていて、俺は小学生にして「おじさん」になっていた。 甥っ子の猛が、嫌いだった。子供が生まれるということに関して、兄貴とさんの間にどういった行為があったのかというどうしようもない事実を突き付けられて、自分の欲望の行き場所が分からなくなる。もう、俺とさんが繋がる可能性は万に一つもないだろう。言葉もままならないはずの猛がそう言っているようで、嫌いだった。 そうだ、俺がどんなにさんを好きでいても敵うわけがない。兄貴にも、猛にも。持て余した想いと欲望を今更捨てることも出来ずどうにかしようとして、誰にも気付かれることのないように何重にも蓋をして、俺はへらへらと笑う術を身につけて、上辺だけの言葉で「大好き」なんてたくさんの女の子に言えるようになった。さんの視界に入ろうと頑張ってきはずのたバレーボールも、頑張れば頑張るほどさんじゃない女の子を引き寄せる。 そうして、さんじゃない誰かと付き合ってキスをしてセックスをして、俺はさらに大人に近付いて行く。 さんが兄貴と出会ったのは、さんが高1、兄貴が高3の時だったらしい。青葉城西バレー部の女子マネージャーとして、エースだった兄貴を支えていたそうで、ただその時は人気すぎる兄貴になかなか声を掛けることも出来ずにいたと、さんが笑いながら話してくれた。そうして短大に進学しインカレのバレーボールサークルに入会したところで再び兄貴と出会いなんだかんだで今に至る、と教えてくれたさんの顔は、それはそれは幸せそうだ。むかつく、ただ単純に。あの頃のさんと今の俺が出会ってたら、俺はその場でさんに告白したのに。 それほどまでに、兄貴と俺の顔はそっくりだ。年上の分だけ兄貴には大人の貫録もあると思うし、なんとなくフェロモンとか、そういう今の俺には無いものもある気がする。そして甥っ子の猛は、兄貴とさんのパーツをそれぞれ受け継いでいる。色素の薄い髪やスッとした鼻筋なんかは兄貴だし、ぱちくりした目とふっくらとした唇はさんのものだ。そして一つの考えに至った時、俺は猛が心から愛おしくなった。 色素の薄い髪、スッとした鼻筋、俺に良く似ている。それにさんの目と唇が合わさって、猛は無邪気に俺の名前を呼んでくる。さんと、猛と、俺と、三人で歩いていたら家族のように見えるんじゃないか。かわいい猛、無邪気にさんに抱きつき「大好き」と言うのも、俺が血を分けた子供だと思えば何ら腹を立てることもない。 「お前それもう病気だな。一生治んないだろ」 「うるさいなあ岩ちゃんはーお母さんでもあるまいし」 「・・・ほんっと、バカは死んでも治んないんだよな」 俺とさんとのどうしようも無い関係をずっと見てきている岩ちゃんにはいつもヒドイことを言われるけど、まあ治らない病気だって言うならそれでもいいや。むしろそれで死ねるなら本望とでさえ思うし。それで、死ぬ間際に枕元に立つさんに言ってやるんだ。 「ずっと、ずっと好きだった」 それで俺に対する一抹の罪悪感でも抱いて一生俺のことを心の片隅に置いてくれたらいいなあって思うんだよ。 |