放課後の保健室のドアをガラリと開ける。怪我人や急病人でも無い限りここに用は無いはずなのに、どうみてもピンピンした人間が、薄いレースのカーテンを通して差し込む西日を背にして、丸椅子に座っていた。県内有数の強豪校青城バレー部のキャプテンにして、クラスメイトにして、幼なじみである、及川徹。もうすぐ部活が始まる時間だというのに、こんなところで何をしてるんだこいつは。「あー、ー」なんて何とも間延びした声で私の名前を呼んで、のんびりと身体ごとこっちを向く。溜め息を一つついて、手にした鞄を机の上に置きながら及川に声をかける。





「・・・保健の先生は?」

「んー、職員会議だって」

「(そういえば今日水曜日か)で、及川は何してんの」

「何って、保健室に傷を癒しに来てるに決まってるじゃん」

「どこも怪我してるようには見えないけど」

「だって痛いのは心だもーん。ねえ、俺またふられちゃった」





及川は、こういうやつだ。強豪バレー部の主将で、華やかなルックスで、校内はもちろん他校の女の子たちにモテる。小学生の頃はそうでもなかったくせに、中学生になって急にモテるようになった及川は、女の子は選びたい放題、とにかく可愛い女の子と付き合ってはすぐに別れる、というのを繰り返している。付き合うことになった女の子からすれば、そりゃ気が気じゃないだろう。何せ、あの「及川徹」なのだ。ちょっとでも目を離せば他の女の子に目移りして、連絡先交換だの一緒に写メだの、自由気まま傍若無人にも程がある。そんな及川に耐えきれず、校舎裏で、教室のすみっこで、泣いている女の子をたくさん見てきた。
鞄から参考書とノートとペンケースを取り出して、及川の向かいの丸椅子に座る。





「どうせあんたがフラフラしてるからでしょ。自業自得が何言ってんだか」

「さっすが!俺のことよく分かってるねー」

「分かりたくもないけど」

「もー俺のことちゃんと分かってくれるのは岩ちゃんとくらいだよー」

「及川にこんなふうに言われて岩泉もさぞや迷惑してるんだろうなあ」

「ひどっ!そんな意地悪言わずにさあ、保健委員なんだから俺のハートブレイク癒してよー」

「嫌だ」





どうせ、明日にはケロリとして他の女の子と歩いてるくせに。何がハートブレイクを癒せ、だ。本当に、及川って最低なやつ。ばっかみたい。なんで女の子たちはこんなやつを好きになるんだろう。いっつもチャラチャラへらへらフラフラして、かわいい女の子と見ればすぐ声かけに行くし、付き合っても自分が苦しいだけなのに、なんでだろう。確かに、バレーボールをしているところは、まあそれなりにかっこいいとは思う。日頃の練習や試合でも、ギャラリーは女の子だらけなのもまあ納得する。だけど、及川がみんなに見せるかっこいいところなんて、それくらいじゃない?みんなそれだけしか見てなくない?それだけで及川がかっこいいなんて言ってるの?ばっかみたい。及川が小さい頃からどれだけ努力してきたかも知らないくせに。ウシワカと影山くんという天才に挟まれてどれだけ苦しんだかも知らないくせに。そんな及川が、どれだけ愛おしいか、知らないくせに。





「・・・そろそろ部活始まるんじゃないの。岩泉に怒られるよ」

「うー行きたくない、がついて来てくれるなら行くけどお」

「さっさと行けグズ川」

「・・・ねえー」

「なに、ほんっと岩泉に怒られても知らないから」

「昔みたいにさあ、名前で呼べばいいじゃん。なんかよそよそしくて変なの」

「うるさいなあもう、『岩ちゃん』にメールしてさっさと及川連れてけって言っていい?」

「と、お、る!」

「は?」

「だからあ、俺も前みたいに名前で呼んでってばー!」

「呼んだらちゃんと部活行く?」

「行く行く!」





「・・・徹、」

「なあに





「さっさと部活行け」





相変わらずへらりと笑って、及川はクッションにしていたジャージを羽織ると立ち上がった。私が及川の名前を呼ばなくなったのはいつだろう。中学生の頃、及川と岩泉と私の3人で一緒に帰っていた時だったか、及川が「おれ、彼女出来た!」って言ったからだったと思う。「徹」という名前は、彼女みたいな特別な相手が呼ぶべきものだと思ったのと同時に、私たちの間に男女という意識が芽生えてしまったからだ。それから私は2人を苗字で呼ぶようになったし、岩泉はそんな私の変化に何も言わずいつも通りに接してくれた。及川は「ねーどうしたのさいきなり!何!怒ってんの?」みたいな空気読めない発言をしばらく繰り返していたけど、岩泉に「いい加減しつこい」と殴られてようやく黙った。
久しぶりに呼んだ「徹」という名前は、どこか懐かしくて甘くて切なくて、苦しかった。





だけなんだよ、こういう俺を見せられるの」

「・・・はいはい」





保健室を出ていく及川の背中を横目で見ながら、シャーペンを握りしめたら芯が折れてぽろりとノートに転がってしまった。及川のばか。徹、って呼んだらここからいなくなっちゃうんなら、そんな名前なんて呼びたくない。幼なじみなんていうありふれた関係性で及川の全てを見られるくらいなら、そんな関係いらない。私はただ、名前を呼んだらずっと隣にいてくれる、そんな特別が欲しいだけだ。でも、及川は私にそんな特別をくれないって分かってるから、なんだかんだいってありふれた関係性に縋るしかない私も、ばかなんだろう。
「・・・徹、」私はその名前を呼ぶ一番近くで呼べる特別を、他の誰でもない徹にゆるされたいだけなのに。











君にだけ赦されたくて

title by as far as I know
bitter」様に提出。