「黄瀬くん!部活終わったところ?」





体育館の外でTシャツの裾で汗を拭っていたら、不意に後ろから聞き慣れた声で話しかけられた。振り向かなくてもこの声の持ち主を間違えることはないけれど、背中を向けたまま答えるのも失礼かななんて思って振り向くと、そこにはやっぱり思った通りにっちが真新しいであろうタオルを持って立っていた。彼女が言った通りに部活を終えた直後の俺は汗をかいているけれど、っちは赤いチェックのマフラーをぐるぐるに巻いていて、短めのスカートから見える太ももが寒そうで仕方ない。





「ああ、っち。そうっスよ、今終わったところ」

「そっか、お疲れ様。今日も頑張ってたみたいだね、冬なのに汗だくだもんね。すごい」

「普通っスよ。みんな同じっス」

「謙虚だなあ黄瀬くんは」





別に、謙虚なわけじゃない。むしろ俺は自分の置かれている状況をよく分かっていると思う。必死になって練習している、完全無欠の模倣なんていうスキルを持っているのに。勝ちたいから。勝利なんて、昔は望まなくてもすぐ近くにあって簡単に手に入れられたはずのなのに、今は随分と遠くにいってしまったみたいだ。





「・・・笠松センパイならきっともうすぐ出てくるっスよ」

「ありがとう黄瀬くん。風邪引かないように気を付けてね」

「ども。っちも寒い中待ってて風邪ひかないようにするんスよ」





欲しいものを手に入れるために、頑張ってるだけだ。勝利とか、好きな女の子とか。過大評価ではなく、これまでの経験として、俺は恵まれていると思っていて、欲しいと思ったものは簡単に、溢れんばかりに手に入れていたと思う。黙っていても女の子は集まってきたし、試合だってつまらないほどに点差をつけて勝つことが出来たのに。本当に心の底から欲しいと思ったものが、今の俺は手に入れられないから必死になって頑張ってるだけなんだ。だけどそれすら、彼女の眼には「彼ではない他の誰か」としてしか映らない。





最初に彼女に会ったのはいつだったかなんて正確には覚えていないけど、好きになった瞬間はしっかり覚えている。IH準決勝で敗退したあの日、笠松センパイが見つめていた視線の先の観客席に座って、泣いていたのがっちだった。その時詳しいことは分からなかったけど、きっと彼女は笠松センパイにとって大事な人で、笠松センパイは彼女にとって大事な人で、笠松センパイは彼女の笑顔のためにずっとずっと頑張っていたんだと思った。すごく羨ましかった。あの瞬間、彼女の一喜一憂を制御する権利が欲しいと思ってしまった。
だけど、俺の目の前ではっちはずっと笑顔のままでいる。「おはよう」も「お疲れ様」も、いつもきれいに整えられた笑顔で、当たり障りのない言葉を口にするだけだ。俺の前で泣いたり怒ったり、あの日偶然見てしまった崩れた表情を見せることはない。彼女がそういう顔をするのは、笠松センパイの前だけで、笠松センパイのために泣いて笠松センパイのせいで怒って笠松センパイのおかげで笑っている。





たぶん、この気持ちは口に出すことも伝わることも叶うこともない。だって、俺が好きな女の子は、大切な誰かのために泣いて怒って笑う女の子なんだから。本当はその誰かが俺であってほしいとか我が儘なことを思ってしまうけど、言い出すとキリがない。そんな女の子を好きになってしまった以上、っち以上の女の子なんて俺にはいないんだ。
だから少しくらい、誰かのために泣いて怒って笑うその顔を遠くで見ることくらい許してほしい。











きみがしあわせになるために、
(僕は必要ないらしい)