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荒北くんとメールアドレスを交換したのは、今年の4月だった。これからの新しい生活が輝かしいものであらんことを願う校長先生の退屈な話を体育館で聞いた後、教室で委員会決めが行われていた。ざわざわとした教室の中で、くじ引きによって同じ委員会に所属することになった荒北くんと、机の下でこっそり交換したのが私たちの始まり。 1年生だった頃、箱学のヤンキーとしてある意味有名人だったおかげで、荒北くんという存在は知っていたけれど、会話なんてまさか出来るわけもなく、まともに顔すら見ることが出来なかった。そしてそんな荒北くんがいくら大きな変化を遂げたとしても、私の中の第一印象はなかなか消えない。だからずっと、遠巻きにしているしかなかったのだ。 だけど3年生になった今年の春、まさかの同じクラスで同じ委員会になった荒北くんは、少しずつ私の中の「ヤンキー荒北くん」という印象を消し去るには充分すぎるほどに、意外に気さくな人だった。 「委員会のこととかで連絡することもあるかもだからァ」 「うん、メアド交換しておこう。荒北くん、よろしくね」 ガシガシと頭を掻きながら携帯を操作する荒北くんと連絡先を交換して、画面に表示された文字列には、「akichan」の綴り。アキちゃん?彼女さんの名前だろうか?尋ねてみたい気もしたけれど、初めて会話したばかりなのに図々しいように感じて、とりあえずスルーしておくことにした。もしかしたら、荒んでいた荒北くんを救ってくれたとても大切な人なのかもしれないし。 そんなことを考えていると、チャイムが鳴ってHRの終わりを告げた。荒北くんは「じゃあな」と軽く手を振って、どうやら部活に向かうらしい。荒北くんが所属する自転車競技部は箱学の中でも指折りの全国区の部活で、そんな中で頑張っている荒北くんのことを思うと、なんだか胸がキュンとしてしまう。もしかしたら、これがいわゆるギャップ萌えってやつなのかも。きっとこれからもっとたくさん、今まで知らなかった荒北くんを知ることが出来る、そう思うとまるで明日が楽しみになってしまうから私は単純人間だ。 ◇ それからは、たまに荒北くんとメールをしてみたり、教室で話したり、そのたびに私は荒北くんの話すこと、良く変わる表情に釘付けになるようになってしまった。乗っている自転車のこと、部活のこと、仲良しの部員のこと(東堂くんはすごく有名なので私も知っている)、委員会の仕事の合間なんかにいつも楽しそうに荒北くんは話してくれる。私はそれをいつも「うんうん」と頷きながら聞くだけで、私から何も話が出来ないのが申し訳ないのだけど、ぶつくさと文句を言いながらも結局は楽しそうにしている荒北くんを見てると私も楽しくて仕方がないから、今日も委員会の資料をホチキスで纏めながら荒北くんの顔を眺める。 「でさァ、そん時福ちゃんが・・・ってオイ何ニヤニヤしてんだヨ」 「えっ!?私、ニヤニヤしてた!?」 「自覚ナシかよ!バァカちゃんかお前!」 「なっ、バカとは失礼なっ!!」 いつものように軽口を叩く荒北くんに言い返そうとした瞬間、指先に鋭い痛みが走った。どうやら手にしていたプリントで切ってしまったらしい。じんわりと滲む血にジンジンとした痛みを堪えて言い返す言葉が途中で止まってしまった私を不審に思ったのか、荒北くんが私の手元を覗き込む。 「ンだよ、どうかしたのか?」 「・・・指、切っちゃったみたい。いてて、」 「ったく、何やってんだヨ!ほら、手貸せ!」 「え、ちょ、荒北く、」 グイッと手を引っ張られたかと思うと、どこから出てきたのか、荒北くんが持ってるには少し可愛すぎる気もする絆創膏がくるりと指先に巻かれる。荒北くんに掴まれたところと、指先が触れているところが、熱い。少し俯き加減の荒北くんのまつ毛が繊細で、すごくきれいだ。頬っぺたが熱くなる。心臓が高鳴る。ああ、そうか。私、荒北くんのこと好きになっちゃったんだ。 そう自覚してしまった途端、不意にいくつかの出来事が脳裏をよぎる。荒北くんのメールアドレス、可愛い絆創膏。きっと、メールアドレスに名前を入れてしまうほどに可愛くて大切な女の子なんだろう、この可愛い絆創膏をくれた彼女さんは。私が荒北くんのことを好きになっても、きっと敵わない。どうしてだろう。好きになった瞬間に、こんなにも心臓が痛いの。 ぽろり。涙が零れてしまった。 「ア゛ァ?オイっ、なァに泣いてンだよ!?んなに痛ェのか!?」 「うう〜〜〜、痛い、・・・痛いよぉ、」 「チョッ、泣きやめって!高3だろオイ!あァっ!ホラ、飴やんヨ、だから泣くなって!」 「荒北くんのバカあ〜〜〜」 「ナンデ!?」 だって、荒北くん酷いよ。私の気も知らないで、優しくしてさ。 だけど、必死に慌ててポケットからキャンディを取り出したりして私を宥めようとしてくれる荒北くんが、ちょっとだけ面白いから許してあげる。そして、気付いてしまったこの想いも蓋をして、また明日から今まで通り仲良しな友達でいられるようにするから。今だけちょっぴり、荒北くんの気の利かない優しさに甘えさせてよ。 そんな思いでひとしきり泣いた後、荒北くんのくれたキャンディは大事に制服のポケットにしまっておいた。荒北くんはいつもと同じように軽く手を振って部活に向かう。夏のIHが、目前だった。 ◇ 「よし、ハヤト散歩行くぞ〜!」 ワシワシと首元を撫でると、元気に「ワン!」と一声、柴犬のハヤトが吠える。夏が終わって、だんだんと秋の気配が色濃く感じられるようになってきた夕方、部活も引退して塾の無い曜日はそそくさと帰宅する私の役目、ハヤトの散歩だ。昼間はまだまだ汗ばむこともあるけれど、日が暮れるとさすがにひんやりとした空気が身体を包む。 リードを繋いで、いつものコースを歩く。住宅街を抜けて、用水路の横を歩いて、少し大きい公園でハヤトと少し遊んで、来た道を戻る。毎週同じように散歩をしていると、段々と日が暮れるのが早くなってきたのが一目瞭然だ。先週はまだまだオレンジ色だったはずの空が、今日はもう紫色のグラデーションになっている。公園で遊ぶのを早めに切り上げて帰ろうかな、そんなことを考えながら公園の門を越えたところで、聞き慣れた声が耳に入ってきた。 「そォら、行けっ!ちゃんと取って来いヨオ!!」 「あっ荒北くん!?」 「んァ?おー、じゃねェか。何してんだこんなとこで」 「な、何って犬の散歩だけど・・・荒北くんこそ何してんの」 「俺も散歩だよ散歩、犬のな」 うちのハヤトよりも高い声をあげながら、一匹のコリー犬が蛍光色のボールを咥えて戻ってきた。どうやらこの子が荒北くん家のペットらしい。よしよしと声を掛けながらボールを受け取って、荒北くんが立ち上がる。そして再度ボールを投げると、元気よく走り去っていった。それを見てハヤトも一緒に遊びたくなったのか尻尾をブンブンと振って催促するので、リードを外して解放してやると、ボールと荒北くん家のコリー犬を追いかけて走っていく。なんだか手持ち無沙汰になってしまって、荒北くんと二人、近くのベンチに腰かけて2匹が楽しそうにじゃれる様子を眺めることにした。 「ん家も犬飼ってたんだなァ」 「うん、言ってなかったっけ?」 「聞いてねえヨ、柴犬も可愛いよなァ」 「でしょ、可愛いでしょ。てか、荒北くんこそ犬飼ってたなんて知らなかった!」 「あ?言ってなかったっけか」 「うん、聞いてない」 荒北くんが買ってくれたホットのココアを飲みながら、同じように隣でベプシを口にする荒北くんをちらりとのぞき見る。こうしてみると、随分と前に蓋をしたはずの気持ちが顔をのぞかせる。切れ長の目も、繊細なまつ毛も、変わらない。こうやってさりげなく優しくしてくれるのも、いつも通りだ。隠し続けてるけど、やっぱり私、荒北くんのこと好きだ。こんなにも。 ペコンと音を立てて、荒北くんがベプシの空き缶を潰す。時計を見れば帰る予定の時刻を大幅に過ぎていて、私もそろそろ帰らないとお母さんに心配されてしまう。 「おーい!ハヤトー!帰るよーっ!」 「アキちゃァん!!そろそろ帰るヨォ!」 ・・・アキちゃん? 荒北くんが大きな声で呼んだその名前に、一瞬思考回路が止まる。思わず荒北くんの方を見たら、荒北くんもなんだかびっくりしたような間抜けな表情でこっちを見ている。 「・・・、荒北くん、アキちゃんって・・・その子の名前なの?」 「こそ、ハヤトって・・・犬の名前ェ?」 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 「・・・あの、私、アキちゃんっててっきり彼女さんの名前かと・・・メアドに入ってるし・・・!」 「お前人のこと言えねェだろォ!?お前だってハヤトってアドレスに入ってっから、てっきり、新開と付き合ってンのかとっ!」 「ちょっ、そんなわけないでしょ!新開くん去年同じクラスだっただけだし!紛らわしいことしないでよ荒北くん!」 「だからァ!お前も紛らわしいことすんなっつーの!!ビビるだろォがバァカ!!」 「バカとは失礼なっ・・・!」 ああ、そういえば。前も同じようなことを言った気がする。あの日、私は荒北くんに完璧に恋に落ちて、それからすぐに叶わないと思って気持ちに蓋をしたんだった。痛くて、痛くて、泣いちゃったんだっけ。だけど、どうやらそれは勘違いだったみたいだ。私、荒北くんのこと好きでいていいんだ。この想いに蓋をしなくてもいいんだ。 ぽろり。安心したのか、嬉しさなのか、涙が零れてしまった。 「ア゛ァ?オイっ、なァに泣いてンだよ!?」 「な、泣いてないっ!なんでもないってば、」 「バレバレな嘘ついてんじゃねェよ!泣くなって!」 「だから、泣いてないって言ってんじゃん!」 「チョッ、泣くな!高3だろオイ!俺が泣かせてるみてェじゃねーかヨ!」 「荒北くんのばか、」 「だからナンデ!?!?」 だって、荒北くんのせいだもん。荒北くんが私を泣かせてるんだよ。だって、本当は嬉しいんだ、荒北くんのこと好きでいられることが。なんでもないなんて、そんなの荒北くんが言うとおり嘘に決まってる。けど、なんだか悔しいし恥ずかしいじゃん。私たちお互い同じような勘違いしてたなんて。 なんでもないから、と言いながら荒北くんを見てみたら、耳と頬っぺたが微かに赤くなっている。 「・・・荒北くん、耳赤いよ」 「んァ!?なんでもねーよバァカちゃんが!さっさと帰んぞ!!送ってってやっから!!」 「荒北くん、あのね」 「・・・んだよ」 「なんでもない、」 「そうかよ」 「けど、私たち、同じかもしれないね」 「そォだな」 隣を歩くその距離が、まだ少しぎこちない。ハヤトのリードを握る私の右手、アキちゃんのリードを握る荒北くんの左手。手持ち無沙汰の反対の手が、ゼロ距離に近付くまで、きっとあと少し。 ![]() 「泣きたい」様に提出。素敵な企画をありがとうございました。 |