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目を覚ましたら、見慣れた天井だった。私が泣き疲れて寝てしまってからこの状態になるまで何があったか想像するのは難しくない。一人用の面積しかない布団の上に大の大人が3人、しかもそのうち2人はバレーボールで鍛え上げられた体格の持ち主だから、当然全員が収まることは無理である。私一人だけきちんと布団の上で、徹と岩ちゃんは最早畳の上に寝転んでいる。頬っぺたに畳の跡だ。ただ、1枚のブランケットだけはしっかり3人のお腹の上でシェアされていた。本当に、子供の頃みたい。 昨日きちんとメイクも落とさず寝てしまったことを思い出して、持参したメイク落としで顔を拭いてさっぱりしようかと体を起こしたところで、左隣の岩ちゃんがうっすらと目を開けた。 「あ、ごめん、起こしちゃった?」 「・・・いや、別に。洗面所使うか?場所分かるよな」 「うん、じゃあお借りします」 まだぐーすか寝息を立てる徹を起こさないように、そっとブランケットを抜け出す。まだ外気に熱されていない家の中のひんやりとした空気を吸い込みながら、洗面所でメイクを落とし、もう一度軽くポイントメイクだけ施した。ひどい顔。まぶたも腫れてるし、完璧に浮腫んでる。確実に徹には笑われるだろうなあ。 部屋に戻ったら、岩ちゃんは起き上がってペットボトルのお水を飲んでいて、徹は相変わらずブランケットに包まって寝息を立て続けていた。 「おう、も水飲むか?」 「ん、ありがと。・・・・・・あの、岩ちゃん昨日はごめん」 「あ?何がだよ」 「えっと、迷惑かけちゃったかなあって」 「・・・別に、あんなの迷惑でもなんでもねーよ。気にすんな」 「そっか、ありがと」 「なんかあったのか」 「・・・・・・」 「まあ無理には聞かないから安心しろ」 「岩ちゃん、ほんといい奴だよね」 「嫌味かそれは」 「違う違う!素直な賞賛だよ!ほんと、岩ちゃんって頼りになるし、徹が『お母ちゃん』って言うのも納得」 「それバカにしてんだろーが!!」 「ん、んんー・・・なに2人とも・・・うるさいよー・・・」 岩ちゃんと2人で小声で会話していたはずが、気付けば寝ている徹に気を遣うのを忘れていたようで、もぞもぞと徹がブランケットの中で口を開いた。ゆっくり起き上がった徹の整えられていた前髪はくしゃくしゃになって、ぴょこんと寝癖がついている。目元をこすりながら欠伸をする姿は、とても25歳とは思えない。 岩ちゃんが手に持っていた空のペットボトルで、徹の後頭部をパコンと叩く。 「おめーが寝すぎなんだよグズ川!さっさと起きろ!!」 「うー痛いー・・・別にいいじゃんまだ寝てようよお」 「徹だけ寝てればいいじゃん。私と岩ちゃん2人で出掛けるからー」 「ええ!!それはズルい!!俺も行きたい!!!」 「じゃあさっさと起きろ」 「はいはい起きるから殴らないで・・・って、の顔!ひどいね!」 「うわムカつく、ほんっと徹ムカつく!徹も畳の跡と寝癖すごいことなってるけどね!!」 「すげー畳の跡だな、いけめんだぞ及川」 「ちょっ、やめてよ!岩ちゃん洗面所借りるね!!」 「へいへい」 バタバタと騒がしく部屋を出る徹の背中を見ながら岩ちゃんと笑い合う。昨日の夜のことが、まるで無かったかのように。来なければいいと願った明日は、何食わぬ表情をして今日になってしまった。今年のお盆休みは土日と連結していつもより少しだけ長いけれど、私に残された時間はあと僅かだ。明日のお昼過ぎには東京に戻る新幹線に乗らなくちゃならない。それまでに、私は2人に伝えなくちゃ。とても、とても大事なことを。 「ねえ岩ちゃん、今日って△△神社の夏祭りの日だよね?」 「ああ、そういえばそうだな」 「3人でさ、行こうよ!でさ、そのあと公園で花火しよう!」 「おーいいかもな。夏っぽくて」 「でしょでしょ!ねずみ花火やりたいー!」 「えーなになに!なんの話してんのー?」 「おいっ!ちゃんとタオルで顔拭いてから戻ってこいよボゲ及川ッ!!」 「うわっ廊下びちょびちょじゃん!徹、ちゃんときれいにするんだよ」 「だってー岩ちゃんと2人きりでいなくなってたらどうしようって思ってー!!で、何の話?」 「あとでちゃんと教えてやっから顔と廊下拭いてこい!!」 結局みんなで廊下を拭いて、夕方6時に神社の前で待ち合わせすることを決めて解散した。相変わらず徹の車で家まで送ってもらって、「またあとでねー」と手を振って別れる。 これが私に与えられた最後のチャンス。きっと今日でこれまでの私たちの関係は変わってしまう。だけどお母さんが言ってくれたように、きっと徹と岩ちゃんなら大丈夫。笑って、なかなか未来に足を踏み出せない私の背中を押してくれる。臆病な私はただひたすらに、そう願うしかない。 リビングに入ると、お母さんとおばあちゃんがなにやら大きな包みをがさごそと開いて何やら話していたので、近付いて声を掛けた。 「ただいまー。おばあちゃんお母さん何してるの?」 「あら、お帰り」 「これね、浴衣出しといたからね」 「え、浴衣?私の?」 「そうよ、今日お祭り行くんでしょう。徹くんと一くんと」 「なんで、」 「分かるわよそれくらい。それにこれはね、」 「おばあちゃんと真由美さんからのお祝いの一つだよ、ちゃん」 「おばあちゃん、お母さん・・・あの、ありがとう・・・すごく嬉しい」 「何時に待ち合わせなの?着付けしてあげるからちゃんと余裕持ってね」 「ん、6時に神社前だから、4時くらいかな?」 「はいはい、任せなさいね」 おばあちゃんとお母さんが手にしていた包みは、真新しい浴衣だった。紺色の地に撫子の花の柄が織り込まれた、大人らしい浴衣。長く着て頂戴ねと、仕立ててもらった世界に一つだけの私の浴衣。おばあちゃんとお母さんの気持ちが嬉しくて、思わずじんわりと涙が零れそうになる。最近、本当に涙腺が緩みまくってるみたいだ。もっと、しっかりしなきゃ。おばあちゃんとお母さんに抱きついてお礼を言ったら、背中を撫でてくれる手がとても優しくて暖かくて、私は本当にこの家族で良かったと心から思う。 4時になって、小さい頃の私の思い出話だとか将来の話だとかをとりとめもなく話しながら、おばあちゃんとお母さんに浴衣を着付けてもらう。昔もこうして2人に浴衣を着せてもらって、徹と岩ちゃんと夏祭りに出掛けたんだった。リンゴ飴をべったりと浴衣に落として泣きながら帰ったこととか、下駄の鼻緒が切れて徹と岩ちゃんに順番におんぶされて帰ったこととか、思い返せばいつだってこの夏祭りは3人一緒だった。中学や高校のときはほとんど部活帰りでジャージや制服姿だったけど、それでも3人でシャツの袖をまくって射的をしたりヨーヨー釣りをしたり楽しい思い出ばっかりだ。 浴衣を着て3人で夏祭りに向かうのは、一体何年振りだろう。 「ねーお母さん」 「なあに」 「お母さんの初恋っていつだった?」 「何よいきなり。でも、そうねえ・・・小学生かしらね、クラスの足の速い男の子が好きだったかしら」 「その初恋、実った?」 「実らなかったわねえ、子供だったもの。特に男の子はね、そういうの分からないでしょ」 「そっか・・・やっぱり初恋って実らないんだろうね」 「・・・そう、かもしれないわね。っよし、出来た」 「良く似合ってるよちゃん」 「ありがとうお母さん、おばあちゃん」 「どういたしまして。ほら、そろそろ徹くんがお迎えに来るでしょう」 「あ、ほんとだ。じゃあ行ってきます」 「行ってらっしゃい、気をつけるんだよ」 浴衣に合わせて用意してもらった巾着を持って玄関のドアを開けると、門の前で既に徹がスマホと睨めっこしながら立っていた。出てきた私に気が付いて顔を上げた徹が、一瞬びっくりしたように目を開いて、それからにへらと頬っぺたを緩ませる。別に私の浴衣なんて見慣れてるくせに、そんな嬉しそうな顔するなんてずるい。柄にもなく頬っぺたが熱くなる。 「きれいだねえ、良く似合ってるよ」 「ありがと、」 「じゃ、行きますかね!岩ちゃんはどんな格好してくるかなー」 「たぶんTシャツに短パン」 「ちょっ、子供じゃないんだから、それは無いでしょ!」 「じゃあ私Tシャツ短パンにリンゴ飴1本賭ける」 「え、じゃあ俺はジャージに賭ける!」 神社までは徒歩15分程度で、そんなことを話していればあっという間に神社の階段下に到着した。そこにはすでに岩ちゃんが立っていて、その格好にリンゴ飴を掛けていた私と徹は、そのどちらとも違う岩ちゃんの服装に思わず地面に膝をつきそうになってしまう。岩ちゃんは、Tシャツに短パンでもジャージ姿でもなく、タンクトップの上にシャツを羽織ってチノパンというなんとも爽やかお兄さんな格好をしていた。色や柄は違うとはいえ同じような格好をしている徹と並ぶと、まるでペアルックだ。 「ちょっとちょっと岩ちゃん!俺のマネしないでよー!!」 「は!?お前が俺の真似してんだろーがふざけんなこれじゃペアルックみてえじゃねーかよ!!」 「いいじゃんいいじゃん2人とも、仲良しみたいでさ」 「何が悲しくて岩ちゃんとペアルックしなきゃいけないのさ!」 「そりゃこっちのセリフだボゲッ!!お前今日絶対俺の隣に来るなよ!」 「行くわけないでしょ!もう!ちょっと、今日は絶対俺の隣から離れちゃダメだからね」 「おう、俺からも離れんなよ。及川とだけは死んでも並んで歩きたくねえ」 「はいはい、いつも通り私が真ん中にいればいいんでしょ」 「「・・・・・・はい」」 3人並んで階段を登れば、あまり広くはない境内だけれども所狭しと出店が並んで、大勢の人で賑わっている。結局賭けはどちらも外してしまったから、私と徹がそれぞれ岩ちゃんにリンゴ飴を奢ることにした。2本もいらねーよ!と岩ちゃんが言うので、それも確かにと思って結局2本のうち1本は私の右手に収まったけれど。 地元の神社のお祭りということもあって、見知った顔も多い。途中、北一と青城の後輩の国見ちゃんや金田一と出会って、「相変わらず3人仲良いんですね」だとか「いやいや国見ちゃんと金田一もでしょ」なんて立ち話をして別れた。夏祭り独特のノスタルジックな雰囲気で、お互い余計にそう見えてしまったのかもしれない。 ひとしきり夏祭りを楽しんだ後で、近くのコンビニで花火のセットを大量に買い込んで公園に向かう。夏祭りの喧騒は遠くに消えて、夜の住宅街には虫の声と私の下駄がカランコロンと地面を蹴る音、そして私たち3人の話し声だけだった。 手持ちの花火も、仕掛け花火も、はしゃぐ3人にかかればあっという間に無くなってしまって、残ったのは線香花火だけだ。さっきまではしゃいでいたのが嘘みたいに、なんとなくじっと押し黙って、しゃがみこんでぱちぱちと火花を散らす線香花火の先を見つめる。もう終わりが近い。花火も、私たちの関係も。言うのは今しかない。手にキュッと力をいれたら、花火の先の火の玉がふるりと揺れて、地面に落ちた。 「・・・あ、落ちちゃった」 「あららー俺が一番最後まで残るかな」 「いや俺だ」 「頑張れ岩ちゃん!って、あ・・・」 「やったー俺が一番!」 「ま、所詮ただの線香花火だからな」 「岩ちゃん相変わらず僻みはみっともないぞ!2回戦やろうか!」 「あのっ!ちょっと、待って!2回戦する前に・・・2人に、話したいことがあるの」 「・・・・・・」 「・・・なんだよ、そんな改まって」 「・・・・・・あのね、私・・・結婚、するんだ」 やっとのことで発したその言葉は、まるでさっきの落ちる直前の線香花火の先のように酷く震えていて、タイミング良く公園の傍を通過した軽トラックのエンジン音にかき消されてしまいそうなほどだった。だけどきちんと徹と岩ちゃんの耳には届いたようで、2人は目をぱちくりさせて、それから満面の笑顔を浮かべる。 ああ、2人はやっぱり私を引き留めたりなんかしない。 「え!そうなの!おめでたいじゃんー!!」 「おお、おめでとな!式は、いつ挙げんだ?」 「えっと、今年の冬、12月なんだけど」 「ねえねえ俺たち招待される?してくれる?行きたい行きたいー!」 「おい何我儘言ってんだ!そりゃあちらさんとの都合もあるだろうがよ!!」 「あっ大丈夫だよ!徹と岩ちゃんは、最初から呼ぶつもりだったから」 「やったー!」 「ありがとな、。なんかすげー嬉しいわ、俺」 「俺も俺も!めちゃくちゃ嬉しいね!」 「ありがとう岩ちゃん、徹。私も、2人に喜んでもらえてすごく嬉しい」 そうだ。やっぱり、この2人なら喜んでくれると思った。だって、私たちずっと一緒の幼なじみで仲良しトリオだったもんね。なのに、どうしてだろう。心臓の奥の方がきゅうっと締め付けられるように苦しいのは。そんなのは気のせいだと思いたい、大好きな2人にお祝いしてもらえて嬉しいに決まってる。だけどそうじゃない感情が奥の方に芽生えてる。 だって、私が結婚して他の誰かのお嫁さんになって、きっと岩ちゃんや徹も他の誰かと結婚して、私たちもっとバラバラになっていくんじゃないの。子供の頃みたいに、昨日みたいに、今日みたいに、無条件に3人で一緒に遊ぶなんて出来なくなっちゃうんだよ。変わりたくないと願っていた私たちの関係は、きっかけがたとえ私じゃなくて岩ちゃんや徹だったとしても、きっといつかこうして壊れてしまう。それが分かっていたから、私は言いたくなかった。この関係を一番最初に壊すのが私でありたくなかったのだ。 だけど2人がこんなに笑顔で祝福してくれるから、私も笑顔で2人に応えるしか出来ない。 「そういや昔、どっちがをお嫁さんにするかで大ゲンカしたのにな。結局どっちでも無かったな」 「そういえばそんなことあったかも。結局徹と岩ちゃんどっちが勝ったんだっけ?」 「俺に決まってるでしょ!」 「んー、岩ちゃんだったかも!」 「ざまあ見ろ及川」 「くーっ!タイムマシンがあったらその時に戻って確かめるのに!!」 「はいはい22世紀まで生きてたらいいね」 「及川は長生きしそうだけどな。憎まれっ子世にはばかるって言うだろ」 「ひどっ!って、それにしてもさ、の結婚相手ってどんな人なのー?」 「んーっとね、徹よりいけめんじゃないし岩ちゃんより頼りないけど、かっこよくて優しい人だよ」 「なんだ、俺のが頼りがいあるなら俺と結婚しろよ」 「ちょっとちょっと岩ちゃん!?ぬけがけ禁止だよ!?俺のがいいよ、毎日いけめん見れて幸せだよ!!」 「2人とも落ち着いて、ね!」 「ちぇっ、つまんないのー・・・まあ、お幸せにね」 「結婚式楽しみにしてっからな」 「ん、ほんとに2人ともありがとね」 線香花火対決を数回繰り返して、私は徹と岩ちゃんに自宅まで挟まれて送り届けてもらった。きっと、こうして3人で並んで歩くのは最後だと思うから、心なしか全員の歩幅は小さくて、ゆっくりだった。たった10分程度の道程が、今は恨めしい。もっと長くこの道が続いていたら、このまま時間が止まってしまえば、未練がましくそんなことを考えてしまう。だけどもちろん現実にそんなことは起こるはずもなくて、すぐに見慣れた玄関の明かりが目に入ってきた。 家の前で、2人と別れる。徹と岩ちゃんが並んで、私に手を振る。 「、今日はありがとね。楽しかったよ」 「おう、俺も久しぶりに息抜きできたわ。あんがとな」 「私こそ、3人で久しぶりに夏祭り行けてほんとに良かったよ。ありがとう」 「明日何時の新幹線?駅まで車で送るよ」 「俺も見送り行く」 「えっいいよ、そんな無理しなくても、徹も岩ちゃんも忙しいでしょ?」 「「俺が行きたいんだからいいんだよ」」 「・・・そんな声揃えて言われたら、仕方ないなあもう。明日は13時の新幹線だから」 「また岩ちゃんと被ったー最悪だー!!じゃあ明日11時に迎えに行くから、みんなでお昼食べよ!」 「だからそりゃこっちのセリフだって言ってんだろーがグズ川!!」 「もう、ケンカしないの!・・・じゃあ、また明日ね」 「うん、また明日。おやすみ」 「おう、じゃあな。またな」 私がドアを閉めるまで手を振る2人の姿を焼き付けて、それから玄関にしゃがみ込んで私は泣いた。ずっと、ずっと我慢していた涙が止まらない。「また明日」なんて、きっとこれも私たち最後の「また明日」だ。 純粋に「また明日」を信じて楽しみにしていた頃の私たちに、戻れるものなら戻りたい。どうして今が22世紀じゃないんだろう。どうしてタイムマシンが無いんだろう。楽しかった今日がずっと繰り返せたらいいのに。 私は、こんなにも過去に縋りつく私の背中を、「幸せになるんだよ」って徹と岩ちゃんに押してもらいたかった。だけど、本当は、「どこにもいかないでよ」って、「ずっと一緒にいろ」って、内心どこかで引き留めて欲しかったんだ。でも大人な私たちはそんな素振りは少しも見せないで笑ってるだけだった。頭の中でぐちゃぐちゃになる想いが、涙に変わって溢れ続ける。 まぶたの裏で笑顔で手を振る徹と岩ちゃんが、涙で揺れて滲んで、地面に落ちる線香花火の火の玉のようにぷつりと消えていった。 ![]() ◄ 昨日に戻る|明日に行く ► |